子供時代の浣腸思い出小説

幼少期や未成年などの子供の頃、自宅や学校、病院でイチジク浣腸をされたエピソード小説です。小説の中では浣腸は便秘治療だけでなく、おしおきやしつけにも使われています。

情景3

僕が小さい頃、家に年若い女中さんがやってきました。奉公で売られてきたそうで、朝から晩まで働いていました。
母は女中さんに厳しく、少しでもそそうをしたり家の仕事が行き届いていないと、すぐにお仕置き。物置から竹の物差しを持ってきます。
「お尻を出しなさい」
「申し訳ございません、奥様。お許しください」
「早く、お尻を出しなさい」
「…はい」か細い声で、女中さんは母にお尻を向けます。
母は女中さんの着物をまくり、ズロースを容赦なく太ももまで下ろします。
「ピシッ!ピシッ!ピシッ!」
「申し訳ございません!申し訳ございません!」
中腰や四つんばいの姿勢でお尻を丸出しにしながら、女中さんは涙ながらに謝ります。そんな光景は日常茶飯事で、居間や玄関、台所でよく見かけました。

そして…もうひとつ、僕がよく見た光景があります。それは…。
夜、トイレに行くために女中さんの部屋を通ると、母が女中さんの部屋に入っていきました。女中さんがすすり泣く声が聞こえます。母が手に持っていたのは、イチジク浣腸でした。
「体調管理のために、カンチョーしますからね」
女中さんは首を振ります。
「お前の親御さんからも、健康管理はしっかりしてくれと頼まれているんだよ。お前、今週通じは?」
女中さんが悲しく首を振ります。嘘をついたところで女同士、ばれてしまうのです。
「ほら、便秘じゃないか。おとなしくカンチョーだよ」
「…自分でします」
「お前に通じの管理なんかする権利はないんだよ、あきらめな」
女中さんは泣く泣くあきらめ、母がパジャマとズロースを脱がします。
「足を上げなさい」
「お願いします、横向きでカンチョーしてください」
「駄目だよ。さっさとしな」
女中さんはおずおず両足を曲げ、オムツ換えのポーズになります。
母は満足そうにそれを見て、女中さんのお尻の穴に潤滑油を塗ります。イチジク浣腸のキャップをあけ、お尻の穴にちかずけます。女中さんはなんともいえない顔で、母の手元を見つめています。
「カンチョーしますから、口をあけてお腹の力を抜きなさい」
「…はい」
女中さんは必死に口を大きくあけ、観念します。
そして、カンチョーが女中さんのお尻の穴に静かに入ります。
「がまんだよ、カンチョーくらいなんでもないんだから」
そういうとカンチョーをつぶします。カンチョーを抜くと、そのまま脱脂綿で押さえます。
がまんさせているあいだも、母から女中さんへのお説教。
「居間の掃除が行き届いていなかったね」
「…申し訳ございません」
「あんたの親御さんにはしっかり金を払っているんだ、少しでもいい加減な仕事をしたり通じがなかったら、これからもカンチョーやせっかんだからね」
「…はい、奥様」
女中さんは静かに涙を流しています。
五分ほど経ち脱脂綿がお尻の穴からはずされ、女中さんはようやくトイレに行くことを許されます。女中さんは、急いでトイレへ走ります。残された母は、どこかスッキリした表情をしています。
この光景も、夜、子どもである僕が寝たあとにしばしば行われていました。

情景2

私はおさない頃、母親からよく浣腸されていました。便秘のときはもちろん、ちょっとした体調不良でも浣腸です。
浣腸のいやな理由のひとつが、薬局に一緒に連れていかれること…。
「この子に浣腸するのですが、どれが良いでしょう」
そういうと薬局のおばさんは私の顔をのぞきこみ、
「あら、お嬢ちゃんお通じないの」と言います。
「通じがあったりなかったりなんですよ」
「女の子はお通じしっかりつけないといけないから、一週間くらいは毎日カンチョーしたほうがいいですよ」
「でも、いやがって逃げ回って泣くんです」
「カンチョーはいやだものね。でも、ウンチ出すためにがまんしましょうね、お嬢ちゃん」
おばさんはにっこり笑います。
「カンチョーのときは仰向け?」
「ええ」
「こどもはそれがいいわね」
「これから自分がカンチョーされるのが見えるから、あきらめますし」
「じゃ、子ども用のカンチョー一週間分出しときますね。お嬢ちゃん、嫌だと思うけど観念なさいね」
こんな会話が繰り広げられ、家に帰るとすぐ仰向けで押さえつけられ、カンチョー。当時はこれが当たり前の光景だったのです…。

情景1

保育園の頃、私は近所の男の子の家に母親と回覧板を渡しにいきました。
母親が他に用事もあったので、家にお邪魔させてもらいました。居間に上がらせてもらうと、男の子のお母さんが私たちに言いました。

「ちょっと待っていてくださいね」
そう言うと、男の子を連れて和室へ行きました。私はトイレにいくふりをして、和室をそっとのぞきました。

「ごめんなさい、もういたずらしません」
「だめですよ、おしりで覚えましょうね」
「やだぁ…」
男の子は泣き出しますが、お母さんの言うことは絶対なのでしょう、あきらめて四つんばいになります。
お母さんは男の子の半ズボンとパンツを下ろすと、ワセリンをお尻の穴に塗りました。イチジク浣腸の袋をあけると、キャップをはずします。
イチジク浣腸の先をお尻の穴にちかずけます。
「カンチョーしますから、しっかり反省しましょうね」
そういうと、イチジク浣腸をお尻の穴にそっと入れます。男の子はまた泣き出し、目をこすります。
「気持ち悪い?しっかり自分のしたことを思い出すんですよ」
「…はい」
便秘して浣腸されているのかと思いきや、悪いことをしたお仕置きとして浣腸されていたのでした。
浣腸が終わると、お母さんは脱脂綿でお尻の穴を押さえます。
「罰としてこれから三日間、毎日カンチョーですからね」
「三日もカンチョーやだぁー、ごめんなさい」
「あきらめなさい、かならずカンチョーしますからね」
男の子は泣きじゃくります。私はそっと和室を離れました。

しばらくすると、男の子のお母さんが笑顔で戻ってきました。
「ごめんなさいね、ちょっと子どもが悪さしたもんですから」
「いいえ、いたずらざかりですからね」
「おたくは、お嬢ちゃんのおしおきは?」
「うちはお尻叩きよ、もっぱら」
「そおう、うちはカンチョーなの」
「カンチョーもいいですわね」

私も便秘がちで浣腸はしばしば家でされていましたが、お仕置きで浣腸されている姿ははじめて見たので、なんともいえない気分になりました。

理由

さいころから浣腸されてきた私が考えるに、浣腸のはずかしさには、

・お尻の穴が見られる敗北感
・有無を言わさず必ず排便させられるくやしさ
・医療行為なのにお仕置きのような方法
・「カンチョーする」と宣告された時のショック
・お尻をつきだしカンチョーを待つうらめしさ
・我慢させられているときのみじめさ
・強いもの(親、医者など)から弱いもの(子ども)に当然のように用いることの屈辱感

などがあると思います。
このことが、カンチョーが便秘治療だけでなく、子どものお仕置きにも使われる理由なのかもしれません…。

継母

昭和の時代、私は小さい時に母に先立たれ、それから継母に育てられました。
私の家では裏家業の商売をやっており、多くの人間が出入りしていました。

日常的な躾や健康管理に厳しかった継母からは、しょっちゅうせっかんされたり、浣腸されたものでした。

少しでも継母が気に入らないことをすれば着物とズロースをまくられ、靴べらやものさしでお尻を打たれます。
継母の機嫌をそこね、お尻を出すよう宣告された時の絶望感ははかりしれません。

「お母様ごめんなさい、もうしません」
「ぐすぐすいっていないで、さっさと尻をお出し」
そう言われ、私はお尻を丸出しにして前屈みや四つんばいにさせられます。
「ピシッ!ピシッ!」
「もうしません!ごめんなさい!」
涙ながらに謝罪をしても、許してもらえるはずもありません。
その様子を見たお客さんが、声をかけてきます。
「なんだい、お仕置きかい」
「女は尻で覚えさせないと、なんにもならないからね」
そう言いながら、継母は私のお尻を打ち続けるのです……。

もっと嫌なのが、体調を崩した時の浣腸。
頭痛や腹痛、微熱、便秘などがあると、かならずイチジク浣腸をされるのです…それも、来たお客さんから見える場所で。

例えば、便秘した時など…。
「ほら、イチジクカンチョーするから、尻出しな」継母が、イチジク浣腸と脱脂綿、ワセリンを畳に置いて宣告します。
「…今からお便所で出してきます」
「昨日も出てないんだから、あきらめな。ちょっとイチジクカンチョーすりゃ出るんだよ」
「お願いします、せめて見えない場所でイチジクカンチョーしてください」
「駄目だよ、お前にカンチョーしてる間にお客さんが来たら困るだろう。さっさと尻を出すんだよ」
「…」
「それ以上さからうと、カンチョーが2つになるだけだよ」
私は無駄な抵抗をあきらめ、涙をこらえて四つんばいになり、継母にお尻をつきだします。継母はさっさと私のズロースを下にすべらすと、お尻の穴にワセリンを塗ります。
「ったく、忙しい時に。カンチョーでさっさと通じつけて働くんだよ」
そう言いながら、イチジクカンチョーが私のお尻の穴に差し込まれます。そんな時に限って、お客さんが来るのです…。
「おや、またカンチョーかい」
「通じがなくてさ、ちょっとイチジクカンチョーだよ」
「やっぱり年頃の便秘にはイチジクカンチョーだな」
「忙しいんだから、出すもん出して働いてもらわないとね」
カンチョーされて無抵抗の間にこのような会話が繰り広げられ、私はいつもみじめでうらめしい気持ちでいっぱいになります。
5分ほど我慢させられ、ようやく許されたトイレの中で、私はさめざめと泣くのでした。

まるで牛や馬のように、継母は私を躾けていたのです…。

学校4

私の通う女子高校では、毎日「お通じノート」を学校に提出します。健康管理のため、前日にお通じがあったかどうかを書いて、次の日の朝に提出するのです。

お通じがなかった場合、学校から「家浣腸」というスタンプがノートに押されて返されます。家浣腸とはその名の通り、自宅でのイチジク浣腸。帰宅してノートを母親に見せると、すかさず「さ、カンチョーしましょうね。お尻だしなさい」とにこやかに宣告されます……。学校の決まりと母親は絶対なのです。そのあとは、「嫌です」「お願いします、今日はカンチョーみのがして下さい」と泣こうと嫌がろうと、なにがなんでもイチジク浣腸。学校からは毎月、イチジク浣腸が支給されますから、切らすこともありません。「決まりですからね、カンチョーしてスッキリしましょうね」「カンチョーしないと、ウンチ出なくて明日学校に行かれませんからね。あきらめなさい」と笑顔で言われ、四つんばいにさせられるのが決まりです。毎日お通じのある女子高生などほとんどいませんから、泣く泣く、この家浣腸の洗礼を受ける生徒がほとんどでした。

この家浣腸をのがれようと、スタンプを消したりお通じがないのにあったとウソをついたことが学校にバレた場合は「学校浣腸」になります。ウソをついた女生徒を学校の保健婦が2人がかりで捕まえ、廊下の隅で浣腸するのです。もちろん廊下ですから、他の女生徒にも丸わかりです。一人がスカートをまくりショーツをももまで降ろして前屈みにさせて押さえつけ、もう一人が肛門を開き、うしろからイチジク浣腸をします。わざと、お尻を出してからイチジク浣腸をするまで時間をかけたり、イチジク浣腸をお尻の穴に入れる前に、「お尻の穴にカンチョー入れますから、観念するんですよ」とそのことを説明したりします。

学校浣腸をされている時は、家浣腸以上にみじめで仕方がありませんから、みな涙を必死にこらえたり、ハンケチで拭いたりします。他の生徒も、浣腸の恥ずかしさや屈辱感はよく知っていますから、廊下で学校浣腸の光景を見ても、つとめてなんでもないふりをします。浣腸のあとはそのまま脱脂綿でお尻の穴を押さえられます。「ウソなんてつくから、こんなところでカンチョーされることになるのですよ」など、トイレにいくまでお説教。

さらに、「学校浣腸」はお通じノートにもきっちりスタンプが押され、かわいそうにその女生徒は一週間、お通じがあっても家浣腸となるのです…。この場合の家浣腸は他に人がいる場所でされる決まりのため、家族がいる居間や、商店の裏などでもおこなわれます。

家で商売をしている女生徒などは、畳部屋などお客さんが見える場所で浣腸されます。四つんばいでおとなしくカンチョーされている時に常連さんが来て、「ま、お嬢ちゃんにカンチョーね。便秘?」「いえ、今日から一週間家浣腸」「まぁ、それはイヤね、お嬢ちゃんは。カンチョーは、ね」「いやがって泣いて、ようやく観念したわ。ウソつく子は、きっちりカンチョーでしつけないとね」という会話が繰り広げられ、女生徒はカンチョーされながら、恥ずかしくてなさけなくて仕方がない気分になります。


この浣腸は、大人が圧倒的強者であることを子どもに見せつける道具でもあったのです。

学校3

私の学校は女子高ですが、悪さをしたり怠けたりすると、きまって行われる罰があります。

それは……座薬。人体に害のないものですが、入れたあとは(入れられたあとは)数時間、お尻の穴がムズムズするのです。

朝寝坊や居眠り、言葉遣い、成績などに問題があると、休み時間に学校の各階にある「躾室」に呼び出されます。行かないなどということは勿論許されませんから、呼ばれた女子生徒はうなだれながら躾室に入ります。

躾室の入口には「座薬 ◯年◯組◯◯」と、座薬を入れられる女子生徒の名前が書かれているため、他の生徒にも丸わかりです。

中に入ると、カーテンで仕切られ簡易ベッドを置かれたスペースがずらっと並びます。小学生などはまだけなげですから「もうしません、座薬やだぁ」などと泣いて許しを求める声も聞かれます。もちろん、許されるわけもないのですが…。

中に入ると、座薬とイチジク浣腸が目に入ります。お通じのない生徒は、座薬の前に浣腸されるのです…。

ある日のこと。不真面目な授業態度を理由に、中学生の私は躾室に呼ばれました。中に入り、簡易ベッドの上にあがり四つんばいになります。
すると、担当の先生と付き添いさんがやってきます。「さ、おとなしく座薬して反省しましょうね」付き添いさんにスカートをまくられショーツを下ろされると、なんでもないふりをしながらも、私はなさけない気分になり眼に涙が溜まります。
「あなた…ここ1ヶ月くらいお通じが不規則ね。今日はカンチョーもしますから。すっきりするわよ」
体調管理ノートを見ながら、先生がこともなげに言います。付き添いさんは、同情の目差しでちらっと私を見て、イチジク浣腸の箱をあけ、ビニールを破ります。
イチジク浣腸が先生に手渡されると、先生は私のお尻にイチジク浣腸をちかづけます。「あなた、昨日お通じは?」私は首をふります。「そう、じゃ、カンチョーでたくさん出しましょうね」
私は先生の言葉がうらめしくて仕方ありません。イチジク浣腸の先がお尻の穴に差し込まれると、いつもの通り観念しましたが…。「口をあけてしっかりお腹の力を抜きなさい。カンチョーのお通じがつきませんよ」先生の言葉通りにします。30秒ほどで浣腸がお尻の穴から抜かれ、付き添いさんが私のお尻を脱脂綿で押さえます。
5分ほど我慢させられ、トイレを許されます。これだけでも充分すぎるほどのお仕置きですが、このあとは座薬。トイレからまた躾室に戻り、座薬を手に持つ先生をちらっとみて、ふたたび四つんばいになります。
はいたばかりのショーツがふたたび下げられます。
「はい、座薬しますよ。両足をしっかりひらきなさい」私ははずかしくて泣いてしまいます。「泣くくらいなら、最初からきちんとなさい」先生に怒られ、お尻の穴に座薬が差し込まれます。お尻の穴がくすぐったくて仕方がありません。「しっかり反省なさい」「…はい」付き添いさんの哀れみの視線を感じながら、私は教室に戻るのでした。