子供時代の浣腸思い出小説

幼少期や未成年などの子供の頃、自宅や学校、病院でイチジク浣腸をされたエピソード小説です。小説の中では浣腸は便秘治療だけでなく、おしおきやしつけにも使われています。

放課後の保健室

わたしは小学五年生の頃、女子ながら生意気盛りで、よく周りの大人に歯向かっていました。
昼の学校の掃除では保健室の担当でしたが、真面目にするわけもありません。いつもほうきを振り回したり、遊んだりしていました。保健室の先生に注意されると、「うるさいな、おばさん!」と、得意気に言い返していました。
そんなある日、学校で検便を集めることになりました。わたしは自宅でとってきましたが、カバンに入れてくるのを忘れてしまいました。特に何も言われなかったので学校が終わり帰ろうとすると、担任の先生に、保健室の先生が呼んでいるから保健室に行くように言われました。
保健室へ行くと、そこには保健室の先生と保健所の看護師さんの姿がありました。
「あなた、検便出していないわよね。ウンチ出なかった?」
「家にあるから、今から取ってくる」
「あら、それはできないの。あと20分後に保健所に持っていかないといけないから。あなたのおうちは片道で30分はかかるでしょう。」
わたしは、先生の言っている意味がよくわかりませんでした。
「いやだと思うけど、今からカンチョーして出してしまいましょうね」
先生はにこやかに言いました。看護師さんも微笑みながらうなずいています。
朝しっかりお通じがありましたから、「今からトイレで取ってくる」というわけにもいきません。
「でも…朝出たし」
「検便だから、今すこうし出れば大丈夫なの。カンチョーしたら必ずウンチしたくなりますからね。さ、あきらめてこっちへいらっしゃいね」
わたしは看護師さんに、保健室のベッドに連れられます。
「じゃ、ベッドに寝てね」スカートとショーツが素早く下げられます。お尻が丸出しになり、なさけない気分になりました。
先生が、イチジク浣腸と脱脂綿を持ち入ってきます。
「はい、カンチョーしましょうね。お尻の穴にお薬入れるだけだから、すこうしがまんね」
そう言いながらイチジク浣腸の箱をあけ、袋をやぶります。わたしは恥ずかしくて仕方がありません。
看護師さんに押さえられ、先生の手でカンチョーがわたしのお尻に差し込まれます。わたしはみじめで泣きたくなる気分でした。
「あなた、ふだんはお通じは?」
私がうなずくと、先生は「あら、そう。先生みたいにおばさんだと、便秘になりやすいのよ。先生はカンチョーはしないけどね」と言います。
脱脂綿で看護師さんがお尻を押さえている間も、先生は「便秘していないのにカンチョーなんていやよね、ただでさえいやだもの。でも、時間がなかったからカンチョーしかないのよ」などと言います。
その結果、便が出て検便は提出されました。きっと、これは検便を理由にした先生の罰だったのでしょう。
それからわたしは保健室の掃除をまじめにやり、先生に口答えすることもなくなりました。

学校2

私の学校では月に一度、母親参観があります。これが、生徒には恐怖なのです。
普段は離れて暮らす母親が後ろで見守るなか、生徒は授業を受けます。しかし授業が終わると…。
女子生徒が次から次へと母親に連れられ、トイレに連れていかれます。
「ごめんなさい!ごめんなさい!いい子にしますから!」
これから何をされるかわかっている女子生徒は、必死に懇願します。
「だめですよ、しっかりお尻して反省しましょうね」
にこやかな母親たちの手ににぎられているのは…ムチ。トイレの個室で制服のスカートをまくられ、ショーツを下ろされて壁に手をつかされます。
その理由は、授業中の態度。眠そうにしていた、シャープペンシルを落とした、答えを間違えた、などのささいな理由で、お仕置きをされるのです。
このお仕置きは「お尻」と呼ばれます。浣腸などは学校にまかせていますので、お尻は、娘をしつけるための母親たちの役割なのです。
「お願い!お尻しないで!もうしませんから!」
女子生徒の謝罪もむなしく、お尻にはムチが振り下ろされます。
「ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!ぱんっ!」
「ごめんなさい!もうしません!」
気づけばトイレは、お尻をされる女子生徒の絶叫と母親、娘にお尻をするためにトイレがあくのを待つ母親と、泣きじゃくる女子生徒でいっぱいです。学校では、従順な子にしつけるため、お尻が奨励されています。ですから母親にとって、娘へのお尻はうきうきするものなのです。娘にとっては地獄ですが…。
トイレの外では、その様子を先生が満足げに見ています。
これが、母親参観でのありふれた光景なのです。

学校1

私が通う学校は、小学校高学年から高校生までが通う全寮制の女子校です。
私の学校は健康管理と躾に厳しいことで有名です…。
まず生徒全員が毎日つけさせられるのが、体調管理ノート。自分で熱を測って記入し、お通じの有無を記入します。お通じが2日ないと、3日目には直腸検温とイチジク浣腸が待ち受けています。熱が一定より高い場合も、同様です。
体調管理ノートで便秘や熱が判明すると、翌朝、部屋に看護師資格を持った先生と付き添いさんが部屋に入ってきます。
部屋は、4人の相部屋。ベッドはカーテンで区切られていますが、何をされているかはまるわかりです。
例えば、私の時は…。
朝目が覚めると、ベッドの枕元に先生と付き添いさんが立っています。手にはイチジク浣腸と脱脂綿、体温計を持っています。
「貴女、2日お通じがなかったわね。さ、しっかりお通じつけましょうね」
これで、同室の生徒には私がこれから何をされるかバレバレです。さかし明日は我が身ですから、みな、なんでもないふりをして床についています。
私はなんともいえない表情でうつむきながら「はい」と言い、ベッドの上に四つん這いになります。
付き添いさんが私のパジャマのズボンとショーツを下ろします。
「じゃ、まずはお尻で検温しますからね」
すうっと、お尻に体温計が差し込まれます。
体温計が抜かれて熱のチェック。
「熱はそれほどないみたいだから、ただの便秘ね。カンチョーして出しますから、お口をあけて、楽になさいね」
付き添いさんがイチジク浣腸の袋をあけている間、私はカンチョーされる準備をさせられます。
「はい、お尻にカンチョー入れますからね。もっと足を開いてリラックスなさい。でないとカンチョーが入りませんよ」
いわれた通りにすると、先生の手で静かにイチジク浣腸の先端がお尻の穴に入ってきます。わたしはけんめいに気をそらし、カンチョーされているみじめな現実から逃れようとします。
「はい、カンチョー終わりますよ。しっかり我慢なさい」
浣腸が終わると、脱脂綿でお尻を押さえられ、トイレへ行くことを許されます。
こんな風景が、毎朝どこかの部屋で行われているのです。

思春期の浣腸

ある日の奥様方の井戸端会議では、こんな会話があります。

「うちの娘、最近口答えばかりで生意気で…」

「浣腸はしないの?」

「浣腸?」

「ええ、イチジク浣腸。年頃の娘なんて便秘がちだから、お通じないときにちょっとカンチョーするのよ。がまんさせてるときにお説教すれば、恥ずかしいわなさけないわで、効くわよ」

「浣腸はくせになるって聞いたけど…」

「害になるもんじゃないもの、大丈夫よ」

「いやがったりしない?」

「あら、うちはどんなに時間がかかっても、泣いてもするわよ。いやがってもカンチョーされる、ってわかれば、少しは生意気も減るでしょう」

「カンチョーっていやだものね」

「ええ、されるほうはね」

「ふふふ」

「あら、じゃあうちもカンチョーね」

「帰りに薬局で買ったらいいわよ。箱入りなら切らすこともないし」

可哀想に、今日もまたひとり、自宅で浣腸の洗礼を受ける女学生が増えたのでした。

家での女の子への浣腸2

中学校、高校とあがると、さすがに弟たちがいる前では浣腸されなくなりました。もちろん浣腸されなくなったわけではなく、その代わり、自分の部屋で浣腸をされるようになったのです……。

中学からは、年頃だからと体調管理を目的とした「定期浣腸」が行われるようになりました。定期浣腸といっても普通のイチジク浣腸ですが、お通じの有無や体調に関わらず、「健康のため」を理由に、きまった間隔でされます。つまり、仮に毎日お通じがあったとしても、私は一定のペースで、母やお手伝いさんから浣腸されていたのでした。

子供ですから、少し浣腸をされない日々が続くと、哀れにも浣腸のことを忘れてしまいます。そんな時、夕暮れや夜、休みの日の日中に、母とお手伝いさんが部屋に入ってくるのです。

 

「体調はどう」

「ええ、問題ないわ」

「お通じは」

「出ています」

「そう。じゃあ、すこうし浣腸しておきましょうね」

 

まったく理にかなっていない会話で、浣腸が確定。母がそういうと、お手伝いさんは私の顔をちらっと見て部屋を出て、浣腸と脱脂綿を持ってきます。わたしは「定期浣腸だ」とショックを受けながらも、観念してベッドに横になります。

さすがに思春期ですので、浣腸される時は母かお手伝いさんのどちらかで、私が浣腸される時は、浣腸をしない片方は部屋から出るようになりました。この頃は、母の虫の居所が悪く私に腹いせに浣腸する時以外は、お手伝いさんが私に浣腸するようになっていました。

 

「しっかり浣腸おねがいね」

「かしこまりました」

 

母が部屋を出てドアが締められると、お手伝いさんは壁を向いて横になった私のスカートをまくり、ショーツが降ろされます。

 

「さぁお嬢さま、ちょっとカンチョーしておきましょうね。この時期は、女の子は体調を崩しやすいですからね」

お手伝いさんは笑みをたたえながら、イチジク浣腸の箱を開けます。

 

「さ、それじゃあお尻にカンチョー入れますよ。なあんでもないですからね」

 

「カンチョーがなんでもない筈ないのに」と苦々しく思いながら、私はおとなしくイチジク浣腸を受けます。浣腸が終わり脱脂綿で押さえられている間も、お手伝いさんのおしゃべりです。

 

「昔はお嬢さまも、カンチョーを嫌がりなさって。家じゅう逃げ回って、仰向けさせて押さえつけて、ズロースを降ろしてしたものでしたね。それがこんなに従順になって、カンチョーもおとなしくされるようになってね。女の子は従順が一番ですよ」

 

私はその言葉を背中越しに聞きながら、「いやがってもそうでなくても浣腸されるなら、一緒じゃないの」と、いつも嫌に感じていたものでした。

 

年増のお手伝いさんからしてみれば、鬱憤のたまる毎日。私へのカンチョーは、絶好のストレス発散だったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

家での女の子への浣腸1

「便が出ない女の子には浣腸」我が家では、そんな言葉がありました。私には二人の弟がいましたが、便秘をしても、私はきまってイチジク浣腸なのに、弟たちはお腹のマッサージや便通によい食べ物などを与えられていました。

浣腸は母からされることもあれば、お手伝いさんからされることもありました。「便が出ないのね。カンチョーね」「お嬢ちゃま、ちょっとカンチョー入れてお便出しておきましょうね」便秘がわかると当たり前のようにさっさとお尻を出させられ、弟たちがいる所でも浣腸されました。いやでいやで泣いていましたが、許してもらえるわけもありません。「女の子はがまんがきくし、しつけにもなる。便秘も多いから浣腸」「○○(私の名前)に最近カンチョーしてないから、しないといけないわ」と母親が話しているのを聞き、理不尽をうらめしく感じたものです。

イチジク浣腸を見ると、便秘がわかり浣腸宣告をされ、「カンチョーでお尻スッキリさせましょうね」「さぁお嬢ちゃま、カンチョーでお通じしましょうねぇ。すこうしお尻にお薬するだけですよ」という、妙にやさしい母やお手伝いさんの声と、ズロースをさげられるなさけなさが同時に思い出されるのでした。

「お嬢ちゃま、今朝お便がなかったから、カンチョーのお薬しておきましょ」「カンチョーははずかしくないですからね、便が出ない女の子には必ずしなくてはいけないものなんですよ。ちょっぴりじっとして、観念しましょうね」「はあい、カンチョー入れますよう。お尻の力抜きましょうねぇ、カンチョーのお薬しないとお便しっかり出ませんからねぇ」お手伝いさんの子どもをあやすような言い方が、恥ずかしさを倍増させました。

「浣腸いやだぁ」「カンチョーきらい」などと泣いていやがると、なぜか二人はうれしそうに説得をして浣腸にもっていくので、やがて、どうせされるのならと、だまって反射的にお尻をだし、浣腸されるようになっていきました。

母は私とは血がつながっておらず、お手伝いさんも母から厳しくされていましたから、私にわざとやさしくなだめすかして浣腸をすることで、不満をすっきりさせていたのかもしれません…。お手伝いさんのほうはもと看護師でしたから、私に浣腸する機会をうかがっているようにも見えました。

浣腸は、小さい頃だけでは終わりませんでした。

保健室の浣腸

僕の通う高校は、厳しいことで有名でした。ある日、授業で課題の発表があり、準備を忘れた僕は大慌て。仮病を使い、保健室にいきました。「ちょっと具合が悪いんです」「あら、どこがつらいの?」と保健の先生に聞かれた僕はとっさに「お腹が痛くて」といってしまいました。

ベッドで寝かせてもらうと、カーテンを開けて先生が入ってきました。その手には…イチジク浣腸の箱が握られていました。「お通じがないんじゃないかしら、カンチョーですぐスッキリするわよ」「だ、大丈夫ですっ」「でも、課題の発表は全員参加でしょ。いまウンチ出しちゃえば間に合うから、ね。ウンチ出てるの?」「…出てます」「あら、なら今すぐ教室に戻りなさい。担任の先生から、具合悪いならしっかり治療してって言われてるから」そう言われた僕は、教室に戻るわけにもいかずいよいよ観念。「…出てません…」か細い声でそういうと先生はニッコリ。「そう、じゃ、カンチョーね」

先生は、保健室の鍵をかけました。その後はズボンとパンツをさげられて横向きになり、先生からイチジク浣腸をされました。「便秘の時はね、うちの学校ではカンチョーなの。あんまりしないけど、ウンチ出てなかったならカンチョーしかないのよ」「…はい」僕は恥ずかしさとなさけなさで、みじめな気分になったのは言うまでもありません。

浣腸が終わりトイレから戻ると、「あなた、お腹触ったときに詰まってたから、ふだんから便秘ね。また保健室にいらっしゃい、カンチョーすればスッキリするからね」と微笑みながら言われ、恥ずかしかったです。仮病など使うものではないなと思いました。