子供時代の浣腸思い出小説

幼少期や未成年などの子供の頃、自宅や学校、病院でイチジク浣腸をされたエピソード小説です。小説の中では浣腸は便秘治療だけでなく、おしおきやしつけにも使われています。

継母

昭和の時代、私は小さい時に母に先立たれ、それから継母に育てられました。
私の家では裏家業の商売をやっており、多くの人間が出入りしていました。

日常的な躾や健康管理に厳しかった継母からは、しょっちゅうせっかんされたり、浣腸されたものでした。

少しでも継母が気に入らないことをすれば着物とズロースをまくられ、靴べらやものさしでお尻を打たれます。
継母の機嫌をそこね、お尻を出すよう宣告された時の絶望感ははかりしれません。

「お母様ごめんなさい、もうしません」
「ぐすぐすいっていないで、さっさと尻をお出し」
そう言われ、私はお尻を丸出しにして前屈みや四つんばいにさせられます。
「ピシッ!ピシッ!」
「もうしません!ごめんなさい!」
涙ながらに謝罪をしても、許してもらえるはずもありません。
その様子を見たお客さんが、声をかけてきます。
「なんだい、お仕置きかい」
「女は尻で覚えさせないと、なんにもならないからね」
そう言いながら、継母は私のお尻を打ち続けるのです……。

もっと嫌なのが、体調を崩した時の浣腸。
頭痛や腹痛、微熱、便秘などがあると、かならずイチジク浣腸をされるのです…それも、来たお客さんから見える場所で。

例えば、便秘した時など…。
「ほら、イチジクカンチョーするから、尻出しな」継母が、イチジク浣腸と脱脂綿、ワセリンを畳に置いて宣告します。
「…今からお便所で出してきます」
「昨日も出てないんだから、あきらめな。ちょっとイチジクカンチョーすりゃ出るんだよ」
「お願いします、せめて見えない場所でイチジクカンチョーしてください」
「駄目だよ、お前にカンチョーしてる間にお客さんが来たら困るだろう。さっさと尻を出すんだよ」
「…」
「それ以上さからうと、カンチョーが2つになるだけだよ」
私は無駄な抵抗をあきらめ、涙をこらえて四つんばいになり、継母にお尻をつきだします。継母はさっさと私のズロースを下にすべらすと、お尻の穴にワセリンを塗ります。
「ったく、忙しい時に。カンチョーでさっさと通じつけて働くんだよ」
そう言いながら、イチジクカンチョーが私のお尻の穴に差し込まれます。そんな時に限って、お客さんが来るのです…。
「おや、またカンチョーかい」
「通じがなくてさ、ちょっとイチジクカンチョーだよ」
「やっぱり年頃の便秘にはイチジクカンチョーだな」
「忙しいんだから、出すもん出して働いてもらわないとね」
カンチョーされて無抵抗の間にこのような会話が繰り広げられ、私はいつもみじめでうらめしい気持ちでいっぱいになります。
5分ほど我慢させられ、ようやく許されたトイレの中で、私はさめざめと泣くのでした。

まるで牛や馬のように、継母は私を躾けていたのです…。