子供時代の浣腸思い出小説

幼少期や未成年などの子供の頃、自宅や学校、病院でイチジク浣腸をされたエピソード小説です。小説の中では浣腸は便秘治療だけでなく、おしおきやしつけにも使われています。

子供時代のイチジク浣腸

我が家には幼い頃から暗黙のルールがありました。それは、「お通じがない時は母親からイチジク浣腸をされる」というもの。お通じが2、3日程度ない場合は良いのですが、4日以上となると、ほぼ必ず浣腸されました。また、発熱や体調不良等の場合は、お通じの有無にかぎらず浣腸が待ち受けていました。

私は4人姉妹の末っ子で、姉たちが浣腸されるのもこっそりよく見ていました。もちろん私もよくされていましたが……。高校を卒業すると家を出ることになっていましたから、それまでの間は、浣腸からは逃れられなかったのです。

お通じがないことくらい隠せそうなものですが、お腹がいたくなってばれたり、母から聞かれて正直に答えてしまったり、隠すのはほぼ無理でした。

浣腸は、和室で行われます。部屋にはイチジク浣腸と脱脂綿、布団がありましたから、母からの浣腸が決まると和室へ行きます。具合が悪いときはその部屋で寝たりーといっても必ず浣腸されるのですがーしていました。

幼い頃は大声で泣いたり、何とかして浣腸を許してもらおうとしたりしましたが、まったくの無駄であることに気づき、おとなしくなりました。

ありふれた浣腸風景は、たとえばこのような感じです。私が小三の頃、お腹が痛くて部屋でうずくまっていたことがありました。もちろん、通りかかった母にすぐ見つかります。「どうしたの、お通じはあるの?」私はうなずきます。現に昨日の夜、お通じがあったからです。「あら、そう。でも、浣腸しますからね。和室で待っていなさい」……せっかくお通じがあっても、イチジク浣腸。どうせ浣腸されるのに、なぜお通じがあったかなど聞くのかと、私は悲しい気持ちになりました。

和室に移動すると、すぐに母親が入ってきます。「さ、お尻出しますからね、おとなしくなさいね」私は布団に四つん這いになります。母親は私のショーツを下ろし、浣腸の準備をします。「お腹が痛いなら、浣腸すればすぐに楽になるわよ。いやでも、がまんですよ」「浣腸しないとお腹がよくなりませんからね」浣腸、浣腸と何度も言われるのがみじめな気分を一層引き立てます。

青色のイチジク浣腸の箱を開け、ビニールを破りキャップを外す母。「さ、イチジク浣腸しますから、しっかりお尻出したままね。」どうせされるのだからさっさとしてよ、と母を憎く感じる私。浣腸がそっとお尻の穴に差し込まれると、こそばゆさと変な感じがして、私はいよいよ観念するのでした。ゆっくり浣腸が終えられると、浣腸が抜かれ、脱脂綿で押さえられました。5分ほどがまんさせられ、トイレに行くことが許可されます。がまんさせている間に近所の人が来たりすると、母は脱脂綿を私に押さえさせ、玄関先に。「ごめんなさいね、今娘に浣腸中ですの」「まあ、ごめんなさいね。女の子だから、便がでないことも多いでしょう」「ええ、でもほとんどは効果てきめんよ」「やっぱり子どもには浣腸なのね」などの世間話が聞こえ、私は真っ赤になります。がまんが終わりトイレが済んでからも、しばらくは母からのお通じチェックが入るのでした。